五感で学ぶ環境の島「佐渡」~体験しよう!「食・農・環境」学習プログラム~

佐渡の伝統芸能を調べよう

能・仕舞

日本国内にある能舞台の1/3が集中するといわれる佐渡は能が盛んな土地です。
「能楽」は室町時代に興った「田楽」や「猿楽」を下地にした舞台芸術です。大成者と呼ばれる世阿弥は、その父観阿弥が猿楽師で旅芸人の一座を束ねていたといわれます。若くして才能を発揮した世阿弥は室町幕府の3代将軍足利義満の庇護を得て、その芸能を貴族好みの洗練されたものにしました
世阿弥が佐渡に流されたのは1434年。佐渡は政治犯が流される島でしたから、順徳上皇を始め貴族や武士、日蓮など宗教者が暮らしました。島の人々は、都の文化に少なからず触れる機会があったと思われます。
佐渡で能が広まったのはこの時ではなく、江戸時代の初め。大久保長安がそのきっかけを作ったといわれています。大久保長安は徳川家康の側近で、金山の開発のために佐渡を訪れた際、二人の能太夫を同行しました。金春流の猿楽師だった父を持ち、長安自身も能を愛好していました。金山のある相川で奉納能を催し、おそらくは島の人々にも観る機会は与えられたでしょう。二人の能太夫はその後も佐渡に残り、多くの弟子を指導しました。
その後、1613年に佐渡の本間秀信が、宝生流の能太夫となって帰国します。この本間家は、佐渡で今では唯一の個人所有である能舞台を持ち、佐渡宝生流として佐渡能を守り伝えています。本間家の宝生流とともに、観世流(遠藤家)も興り、江戸時代は本間、遠藤両家で島外へ能の興業を打った記録が残されています。こうして能は佐渡の津々浦々まで広まりました。佐渡の芸能といえば鬼太鼓が有名ですが、鬼太鼓の振りには能の仕舞の影響が多く見られるといわれています。
能の登場人物はシテ(主役)、ワキ(主役と絡む役)。そして役名はありませんが時に物語を進行させたり解説したりもする地謡、楽器を担当する囃子方がいます。複数の演目を組み合わせ、間に狂言を挟むのが正式とされ、5,6時間かかることも希ではありません。佐渡の薪能では一つの演目で終わるので、60~90分程度の上演時間です。
能は、シテ方、ワキ方、囃子方(笛、小鼓、大鼓、太鼓)、地謡方がそれぞれ稽古し、たった一度の申し合わせで本番に臨みます。また、同じ配役で同じ演目を演じることは皆無であるため、二度と同じ舞台を見ることができないといわれています。
能は面をつけて演じられるイメージがありますが、演目によっては直面(ひためん・素顔)のものもあります。また、シテが途中で面を換える演目もあります。そうした転換は、シテが仮の姿から正体を現す場面で起こります。主人公が命を落とすことで幕を閉じるというのは、物語の一つのパターンですが、能はたいがいの場合、あらかじめ死んでいます。能の面は、役柄を示すというよりは、人でないものを演じるために用いられています。


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